原作にシェイクスピアの「夏の夜の夢」と書かれてはいるが、この劇団はそんな一筋縄でいく劇団ではない(笑)“ハイパー・コラージュ”という独自の演劇手法によって、様々な“構成要素”が舞台上で「同時に」進行するのだ。
<台本による構成要素>「恋人たち」「職人芝居」「山荘にて」の3本
これらは交互に行なわれ連続することはあっても
交錯することはない。
<個人による構成要素>一人芝居・パントマイム・その他パフォーマンス
<集団による構成要素>行進・ダンス・動作(椅子に座って2〜5人で同
一動作をする)・眠り
この「夏夢ちゃん」のオリジナルバージョンが利賀フェスティバルで上演されたそうだが、その時には“音声が重なることが「ハイパー・コラージュ」にとって必須なのか”確認するために、一切音声が重ならないように構成したそうで、結果それは「ちょっと違うんじゃないか」ということになり東京公演(今回のグランド・バージョン)に大幅に作り替えになったそうだ。
そう聞くと確かに、前作「コーラっぽいの」で受けた“同時進行による感性への揺さぶり”の度合いが今回は低い。そのせいで、わかりやすい演劇になってしまっているのだが、これはもちろん失敗だと思う。
基本的に演劇はシングルタスクだ。脚本がいい、役者がいい、演出がいい、等々演劇の観点はいろいろあるけれど観客は一つの道筋を追っていればいい。しかし、「ハイパー・コラージュ」では舞台の右と左で全く別の“こと”が行なわれている。どちらかから意味をくみ取ろうとすればどちらかが疎かになる。舞台上はマルチタスクでも、観客はシングルタスクだ。そのギャップが見ている我々の“感性の揺らぎ”を生みだす。(と勝手に思っている)それが“楽しい/快感だ”になる人と“よくわからない/面白くない”になる人とに別れるのだろうなぁ。
今回、終演後に構成・演出の安田雅弘さんのトークセッションがあったのですが、一部観客からやはり“よくわからん”系の感想が出ていたので、ううむとうなってしまった。 ただ安田さんが試行錯誤の最中だということを言っていたので、また次の公演では新たな展開があるかも知れない。私の大好きな劇団の一つなので、頑張ってほしいと思う。